2013年12月31日火曜日

ジャズとロック 2



先日、ギタリストの布袋寅泰氏がツイッターでこうつぶやいていた。

「やっぱりJAZZだな。ロックギターのフレーズにはもう飽きた」

ジャズを知らない人は、ジャズというと「おっさんくさくてとがっていない音楽」だとか、「おしゃれだけど自分には合わない音楽」だと思っているかもしれない。この「おしゃれ」wってイメージにはほとほと困っているので、別の場所で語ろう。

実際ジャズを知ると、実際にはかなりとがった音楽であり、若いうちから、歳をとってもずっとはまることができる音楽であることがわかる。

洋楽のジョンボビとかいつまでも特別にかっこいい人たちはいるけど、とがったロックほど「いい歳してまだやってる」という批判との戦いだろうね。サザンのような路線は別物で。

ところがジャズは、年寄りがやっていてもかっこいいし、若手がやってもかっこいい。「かっこいい」がいい過ぎなら「少なくとも、年齢と合っていない、といわれることはない」といおうか。

さらに、自らのすべてをさらけだして、アドリブ主体であるため毎回違う演奏になるし、聴衆がいなくてもとにかく楽しく、永遠に「これでいい」という段階がない。

テクニックにもいろいろ種類があるけど、ポピュラー音楽においてはジャズのミュージシャンの技術は高い。おいらがいっても信憑性がないね。
でも、マイケル・ブレッカーがすごく謙虚に「ボクが出会った中では、ジャズのプレイヤーは一番テクニックがあると思う」といっていたことを考えればそうなのだろう。少なくともペンタ一発じゃないし。

実際はクラシックの演奏家のほうが技術は高い。彼らは別次元です。でもポピュラーではジャズが一番だね。

ジャズをほめてばかりいる(このブログの性質上しょうがない)けど、おいらはロックも好きですよ。今でもたまに聴いている。だからこそ、布袋氏の冒頭の発言はちょっと「いまさら?」感がある。もっと早くこの発言がほしかった。

正直言って、歳をとってからのジャズ転向は難しい。数年前に大江千里氏がジャズを目指すためにアメリカに留学したけど、10代の同級生から「このなかにジャズ・ミュージシャンじゃないやつがいるからジャズができない」みたいなことをいわれたという。きっつ~

そういえば3年前の東京ジャズで、布袋氏がリー・リトナーやマイク・スターンとセッションをした映像を見たけど、やはりフレーズの多彩さが段違いだった。おまけにその後スターンが「すばらしいギタリストだね」みたいな発言をしていたのが、痛々しかった。それも影響したのかな。もっとも、天下のリトナー、スターンだからねえ。彼らと比べるのがよくないのかも。

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2013年12月30日月曜日

ジャズとロック



おいらはロックも好きだが、ロックのミュージシャンとジャズミュージシャンがジャムでバトルをしたときには200%ジャズミュージシャンが勝つということを否定しない。

勝ち負けで考えるのもちょっとおかしいのかもしれない、音楽は好みの問題だから。バトルしているのをロックファンが聴いたら、「ほら、やっぱりベックのほうがいいよ」という感想を抱くかもしれないし。

しかし、バトルしている本人は明確に負けを意識しているものだ。それがわからない人はしょせんその程度である。「オレが本気だせば」「明日からがんばる」といってるのと同じだ。

以前にもいった有名なチュー・ベリーとレスター・ヤングの話、この話は「客にうけたほうが勝ち」という意味ではないぞ、「客がわからないところでミュージシャンは勝ち負けを判断し、認めている」ということだからね。

ロックとジャズのミュージシャンのバトルを異種格闘技と称する人もいるけど、大変申し訳ないが、異種格闘技にすらならない。幕下と幕内の違いだ。

ベック、クラプトン、ペイジの3大ギタリスト。ペイジは特別だからギタリストという観点で考えるならここでは問題外となってしまう。ベックは早くからインスト志向となったが、フレーズはジャズ・フュージョンのギタリストに比べて平坦。クラプトンは技術には目をつぶったとしてブルースがどうのこうのいわれているが、グラント・グリーンやコーネル・デュプリー、ロベン・フォードらと比べるとその要素もまったくかなわない。
エリック・ゲイルのあとにクリームのクロスロードとか聴けない。ましてや、ウェス、メセニーにはまったく歯が立たないのが現実だ。

まあ、ロックという音楽の目指すものがジャズのそれとは違うし、ロックは個のプレイヤーを取り上げて云々いう音楽ではないからね。大衆のわかりやすさも重要な視点だよ。90年代以降のチック・コリアにはそういうところ見習ってほしい。ああ、愛しの70年代のコリアサウンドよ、カムバ~ック!

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ボーカルと日本語



おいらが若かった頃、「究極の選択」なるものが流行った。知らない人のために例示をしたいのだけど、あまりにも下品なネタしか思い出せないからやめておきます。埼玉のFM「NACK5」ではある番組の中で、究極の選択の再来企画として「どっちもやだね~」というのをやっている。

ではここで、ジャズをやっている人に究極の選択を迫ろうか。ジャズのライブなのに「英語でJ-POPを歌うボーカル」と「スタンダードを日本語歌詞で歌うボーカル」どっちがいい?

中にはジャズなのに「日本語でJ-POPを歌う」という最強のボーカルもいるけど、それは別の場所で語ります。あまりにもおぞましい記憶で、おいらの心の整理がついていない。

さて今回は後者である「スタンダードを日本語歌詞で歌う」について。

あるボーカルの歌伴をしたとき、ボーカルが「次は、『おいしい水』なんですが、これを日本語歌詞で歌います」といった。寡聞にしてその日本語歌詞の存在を知らなかったおいらは、その歌詞が彼女のオリジナルなのか誰かが録音したことがあるものなのかわからなかった。いまでもわからない。わかりたくもない。誰か調べて何かわかっても、おいらに連絡しなくていいから。

それはもう、何がなんだかよくわからなかった。1ついえるのは、「ボサノヴァ曲を日本語で歌うと昭和歌謡のようになる」という事実。

おいらがわからないのは、それがオリジナルの詞だとしたら、よくもまあそんなことをしたな、ということ。自分で歌ってみてジャズのライブよりは場末のキャバレーのほうが合っていることに気付かなかったのだろうか。

さらに、もしそれがオリジナルではなく何かのレコードで聴いたものだとしたら、それを聴いて「あ、これステキ。わたしもマネしちゃお~っと」と思えるものではないだろ~センス疑うよ。それほどひどい歌詞だった。

例外として、戦後間もないころ、美空ひばりとかがスタンダード曲を日本語で歌っていたようなのは、むしろ独特の雰囲気があるので嫌いではないのだけどね。

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